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    <title>公共事業に対する批判なんて元々無い - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-08-27T12:16:51Z</published>
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    <summary>奥さん「あなた、休みの日くらい子供と遊んでやってよ」ダンナ「何言ってるんだ。俺は...</summary>
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        <![CDATA[奥さん「あなた、休みの日くらい子供と遊んでやってよ」<br />ダンナ「何言ってるんだ。俺は仕事で忙しいんだ。俺が仕事しているからお前らメシが食えてるんだろ」<br /><br />こんなベタな光景が現実世界に存在するかどうかわからない（僕は子供はいないし結婚すらしていないので、あくまでも妄想です）。とにかくこの会話は噛み合っていない。<br /><br />上の会話では、奥さんの言葉はあくまでも「ダンナが家族を振り返らないこと」に対する批判である。これに対して、ダンナは「仕事という必要不可欠なことに従事している俺は正当」と返している。「わかってないのね」「あなたのそんなところが嫌なのよ」と言われておしまいである（妄想です）。<br /><br />-----<br /><br />｢正々堂々と『公共事業の雇用創出効果』を論ぜよ」藤井聡（京大の教授）を読んだ。<br />著者が日刊工業新聞等に寄稿した論説等を束ねた本。いわゆる「公共事業悪玉論」に対する反論。公共事業の正当性を滔々と語り、それが理解されないのはマスコミの偏向報道によるものである、という主張らしい。<br />確かに公共事業の正当性について、説明を続ける必要があるのはわかる。しかし、本書で展開している公共事業に対する批判「に対する批判」も、上の夫婦の会話と同じようなものである。<br /><br />僕は、そもそも「公共事業に対する批判」というものは存在していないと考えている。本書でも述べられているような、防災、交通等のインフラ整備の正当性については言われなくても国民はわかっている。それでは何が批判されているのか。<br /><br />・無意味な道路やハコモノをつくっていること。<br />・公共事業で私腹を肥やしている人間がいること。<br /><br />批判はだいたい上記に集約される。つまり、不可解な意思決定、自己利益の追求という「公共事業への『取り組み方』に対する批判」なのだ。<br />それに対して、「公共事業は正当、そしてそれに従事している俺は正当」みたいな返し方では話が先に進まない。<br /><br />-----<br /><br />コミュニケーションの基本は、「まず相手の話を聞く。受け入れる」ことである。奥さんの不満を真摯に受け止めることである（と思います、たぶん）。とにかく「ごめんなさい私が悪いのです」と平身低頭、謝ることから始め、お互いの意見をすり合わせる。まずダンナに必要なのは自己批評だ。自分の正当性ばかり述べていると愛想を尽かされる（と思います、たぶん）。<br /><br />実は土木・公共事業の世界には「自己批評」が無い。自己批評なんてしている暇が無いほど忙しい、ということもあるし、メディアも限られている、そんなことしたらどえりゃあことになる、ということもあるかもしれない（その理由は今考え中です）。それでも、国民の理解を「本当に」得たいと考えるなら、まずは建設業界が自己批評を行うことだ。「現役土木技術者が赤裸々に語る！ここが変だよ建設業界～建設コンサルタント秘録」というのが出版されたら...おおおお怖い。<br /><br />なぜ無駄な構造物をつくってしまったのか、どうやって甘い汁を吸ったのか、まず明らかにするべきだ。それをせずに「土木のイメージアップ」をやろうなんて虫が良すぎる。批判を棚上げにしてはいけない。<br />自民党がなぜ浮上できないか、民主党がなぜイマイチか。自己批評（ブレてすいませんとか適当なこといってすいませんとか）を誠実に行っていないからである。<br /><br />そもそも筆者は、この本によって世間の批判を解消しようとは考えていないものと思われる。本書のまえがきでも、「要は、『ふざけたボケ』に『真面目なツッコミ』を入れる、それが『お笑いのゴールデンパターン』だという次第である。」（P12）と茶化しているように、内輪で「そうなんだよなぁ」と愚痴を言い合うための材料として書いているのだろう。<br /><br />この本は、業界の外の人には見せていけない本である。愛想を尽かされるのは困るので。 ]]>
        
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    <title>ホームズはしつこく語る - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-08-22T12:26:59Z</published>
    <updated>2010-08-22T13:34:19Z</updated>

    <summary>内田樹氏のブログで、シャーロック・ホームズについて語っていた（｢緋色の研究｣の研...</summary>
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        <![CDATA[内田樹氏のブログで、シャーロック・ホームズについて語っていた（<a href="http://blog.tatsuru.com/2010/08/20_0803.php">｢緋色の研究｣の研究</a>）。その中で取り上げている、ホームズが｢遡及的推理｣｢分析的推理｣について語るシーンは｢緋色の研究｣のヤマ場であり、シャーロック・ホームズの推理スタイルが明示された瞬間である。<br /><br />この他にも、「シャーロック・ホームズ」シリーズには｢格言｣として僕らも取り入れることのできるフレーズが繰り返し出てくる。｢頭の中の屋根裏部屋｣｢観察と推理｣｢些細なことへのこだわり｣｢思考のリセット｣（勝手に名前つけています）など...<br />その内容はおいおい整理することとし、今回は第一の原則｢先入観の排除｣についてのみ記しておく。<br /><br />「ホームズ」シリーズの序盤は、ホームズとワトスンのやり取りが中心となる。ここでは、困惑するワトスンに対して、ホームズが推理の原則が伝授される（というよりお説教）場面が多い。それでもワトスンは毎度同じように困惑するのだが...<br /><br />まず第一作である｢緋色の研究｣、推理を行う上で最も大事な原則が語られる。<br /><br /><i>｢まだデータがない。証拠材料もそろわないうちに推理を始めるのはたいへんなまちがいだよ。判断を偏らせてしまう｣</i><br />（新訳シャーロック・ホームズ全集 緋色の研究 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P46）<br /><br />｢あたりまえ｣の話である。でも、僕らが繰り返す間違いの大半は、判断の材料が揃う前から形成されている先入観、問題に向かう前から「既に形成されていた仮説」が原因である。仮説思考という思考スタイルはホームズも使うスタイルだ。しかしそれはあくまでも目の前に揃えた証拠にのみ基づくものである。<br />先入観は自覚することが難しい。わかっていても気がつけばそれに囚われている。だから、しつこいほど意識し、排除しなければならない。<br /><br /><i>｢まだ資料がない。論拠をもたずに理論を構成しようとするのは、重大な過ちだ。事実に合う理論を生み出すのではなく、無意識のうちに理論に合わせて事実をねじ曲げるようになってしまうからね｣</i><br />（新訳シャーロック・ホームズ全集 シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P17『ボヘミアの醜聞』）<br /><br /><i>「まあ、そう考えられている。でもね、ぼくとしては、自分の手で調べてみるまで、決めつけたくはないんだ」</i><br />（新訳シャーロック・ホームズ全集 シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P140『ボスコム谷の謎』）<br /><br /><i>「なによりも大事なのは、相手の個人的資質に判断を左右されないようにすることだ。ぼくにとって、依頼人は問題中のひとつの構成部分、ひとつの因数にすぎない。感情的なものが入り込むと、明快な推理ができなくなる」</i><br />（新訳シャーロック・ホームズ全集 四つの署名 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P31）<br /><br />これでもかという位に語られる「先入観の排除」。これは、デカルトが語る分析のための「四つの原則」でも第一の原則としてあげられているのだ。<br /><br /><i>第一は、私が明証的に真であると認めたうえでなくてはいかなるものも真として受け入れないこと。いいかえれば、注意深く速断と偏見とを避けること。そして、私がそれを疑ういかなる理由ももたないほど、明晰にかつ判明に、私の精神に現れるもの以外の何ものをも、私の判断のうちにとりいれないこと。</i><br />（デカルト 方法序説ほか 野田又夫・井上庄七・水野和久・神野慧一郎 訳 中公クラシックスP22）<br /><br />スピードを求められている現代で、「速断」はポジティブに捉えられる場合が多い。しかしそれはネガティブな結果につながるおそれがある。それを避けるために「思考の溜め」を意識することが必要だと思う。<br /><br />というわけで、『<i>みなさん、暑い夏休みはシャーロック・ホームズを読んで過ごしましょう。さいわい、どこの本屋でもホームズの文庫本が切れるということはありませんから。</i>』<br /><br /> ]]>
        
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    <title>そのテキストは呪文である - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-08-13T10:50:12Z</published>
    <updated>2010-08-13T22:49:43Z</updated>

    <summary>朝吹真理子「きことわ」(新潮9月号)、読み始めてから読み終わるまでの記憶が無い。...</summary>
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        <![CDATA[朝吹真理子「きことわ」(新潮9月号)、読み始めてから読み終わるまでの記憶が無い。すっかり作品中の世界に浸っていた。「活字に絡め取られる」という言葉が当てはまる。<br /><br /><a href="http://www.flickr.com/photos/nkss/4887911036/" title="R0012526 by gitmonster, on Flickr"><img src="http://farm5.static.flickr.com/4074/4887911036_6f03fe18f4.jpg" alt="R0012526" width="500" height="375" /></a><br /><br />僕も毎日文章を書いている。しかしそれは「レポート」である。自分の調べたこと、考察を「明快に」書き、他人に伝えるためのものであり、文学作品とは目的が全く異なる。<br />
そこでは主旋律以外の無駄な言葉は削られる。<br />
<br />
とはいえ、文体は結構不安定だ。想定する読み手(発注者など)やレポートの目的、誰が最終チェックするか(すっかり組織人ですね)
などにより文体は変わる。それ以外に、印象の強い文学作品に触れた後は大きく変わる。詩を読んだ後は妙なリズムが生まれるし、森博嗣を読んだ後は読点が倍増、小島信夫の後は破綻...それはそれで面白い。<br />
<br />
しかし、「きことわ」は多分文体に影響は与えない。この小説は「文章を読んでいる｣ことを感じさせない。僕らが普段書いている、読んでいる文章とは別の次元のモ
ノである。この場合、テキストは読んで理解するものではない。作者が作り出した世界に接続するための呪文である。試しに読んでみるといい。読
み始めて数秒後、「夢を見ている」はずだ。<br />]]>
        
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    <title>セカンドオフィス - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-08-01T03:39:31Z</published>
    <updated>2010-08-01T03:59:27Z</updated>

    <summary>休日、仕事を持ち帰っているときや特にどこかに行く予定が無いときは、近所のオープン...</summary>
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        <![CDATA[休日、仕事を持ち帰っているときや特にどこかに行く予定が無いときは、近所のオープンスペースで仕事をしたり、本を読んだり、ネットで遊んだり、という時間を過ごす。学生が自習に使っていることも多い。明るさも室温もちょうどいいので、職場にいるときよりも仕事がはかどる。<br />自習スペース、というわけではないので、オバサマ達の話し声や子供たちの叫び声が飛び交うときもあるのだが、そんな時のためにBOSEのヘッドフォンがある。<br />ただ、本当は長時間の占用はいけないんだけど。<br /><br /><a href="http://www.flickr.com/photos/nkss/4847764751/" title="R0012524 by gitmonster, on Flickr"><img src="http://farm5.static.flickr.com/4150/4847764751_cee6544219.jpg" alt="R0012524" height="375" width="500" /></a><br /><br />遅まきながら佐々木俊尚氏のノマドワーキングに関する本を読んだ。言っていることはまったくそのとおりだと思う。会社で仕事をしなければいけないこともない。9時~17時がコアタイム、それ以外は「残業時間」という区分にどんな意味があるのか。<br />でも都市部でセカンドオフィスになるスペースを探すのは容易でない。人が多すぎる。ということで考えているのは「地方移住」。<br /><br /> <a href="http://www.flickr.com/photos/nkss/4848385794/" title="R0012525 by gitmonster, on Flickr"><img src="http://farm5.static.flickr.com/4086/4848385794_56ac7e34d1.jpg" alt="R0012525" height="375" width="500" /></a>]]>
        
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    <title>「告白」これは悪夢だ。映画史に残る悪夢だ。 - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-06-05T23:17:51Z</published>
    <updated>2010-06-05T23:26:49Z</updated>

    <summary>松たか子の演技が凄かった。館内二百数十人を一斉にぐったりさせる作品だ。映画館を出...</summary>
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        <![CDATA[松たか子の演技が凄かった。館内二百数十人を一斉にぐったりさせる作品だ。<br />映画館を出るといつも通りの喧騒。ほっとした。<br /><br />僕らが今の子供達に抱いている得体の知れなさ。街中で騒ぎ、ゴミを散らかし、傍若無人な振る舞い、それらに対する嫌悪感。<br />だから森口に感情移入してしまう自分に気づく。<br /><br />15禁の意味は単にスプラッタな映像がある、という意味ではない。<br />子供の不安定な精神にこれだけストレートな描写を見せるのは酷すぎる。<br />自分達の世代がこのように描かれている、というのはショッキングだと思う。<br />ただ、何らかの形で彼らはこの作品を観るだろう...<br /><br />僕の中にある残虐性に気づく。でもこの映画を観た後はその感情も少し穏やかになったかもしれない。「毒をもって毒を制す」というところだろうか。結構強い毒だけど。<br /><br />これは危険な映画である。世代間の偏見を助長する可能性もある。<br />ただ観る側も大人、理性と想像力で持ちこたえなければならない。<br />森口の表情に何を感じたか、それを洞察することが必要だ。<br /><br />いずれにせよ、この作品は映画史に残る作品だ。これだけ直接的に心を切りつけてくる映像は今まで見たことがなかった。<br /><br />-----<br /><br />この映画の中でもケイタイメールやWebサイトが感情の増幅装置として使われている。「ありがちなパターン」でそこだけは醒めた。<br /><br />少し前に高校でツイッター禁止、というニュースがあった。これは、ツイッターが教育上よろしく無い、ということではない。生徒がインターネットを契機とした事件を引き起こしても対応できない、という意味ではないか。<br /><br />以前の学校外における「生活指導」は、学校周辺の限定されたエリア内を巡回していれば良かった。パトロール 圏内と生徒の生活圏は概ね同じで、それなりの効果も期待できた。（少なくとも責任を果たしているようには見えた）<br />しかし、インターネットの話になると到底学校としてはコントロールできない。いわゆる「トラブルの芽」を摘み取ることができない。そんな中でトラブルが発生し、後でマスコミや親から「学校の責任」を問われてはかなわない。だから学校としては「禁止」にして、学校側の責任範囲を示したのではないか。<br /><br />これについて「何かおかしい」という気がする一方、「致し方ない」という気もする。実際、生徒がインター ネットでどのような情報をやり取りし、何を考えているかなんて全くわからない。「インターネットは自己責任」ということを明確にする点で、むやみに非難できない一手だと思う。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>踊らにゃ損損iPad - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-05-29T01:16:17Z</published>
    <updated>2010-05-29T13:57:30Z</updated>

    <summary>「まずは様子見」とか「本当に使うのか」とかいろいろ買わない理由を並べてはいたが、...</summary>
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        <![CDATA[「まずは様子見」とか「本当に使うのか」とかいろいろ買わない理由を並べてはいたが、結局発売日にきっちり家にやってきた。<br /><br />見た目は「メガiPhone」、しかし印象は大きく異なる。手に持った板がWorld Wide Webへの入口となっている、その感覚は今までに無かった。PCを扱う時よりも目線が多少下になることから、個人的には多少楽な姿勢でコンテンツを楽しむことができている。ベストポジションは脚を組み、腿の上にiPadを乗せる形。リラックスした姿勢で楽しむことのできるコンテンツ（雑誌とか）が好まれるようになるだろう。YouTubeも、PCで観るときとは全く違うコンテンツに見える。<br />ちなみに、文字入力は少し工夫が必要。腿の上で入力するときは、左手で本体を支えながら親指で左側3列を担当。右手で残りのキーを担当する。<br /><br />iPadという「最新のガジェット」は、文学作品や将棋、書見台といった古き良きコンテンツや道具と以外に相性がいい。<br /><br />デスクの上で使うときは、<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&amp;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fs%3Fie%3DUTF8%26x%3D0%26ref_%3Dnb%5Fsb%5Fnoss%26y%3D0%26field-keywords%3D%25E6%259B%25B8%25E8%25A6%258B%25E5%258F%25B0%26url%3Dsearch-alias%253Daps&amp;tag=gistravel-22&amp;linkCode=ur2&amp;camp=247&amp;creative=7399">書見台</a><img src="https://www.assoc-amazon.jp/e/ir??t=gistravel-22&amp;l=ur2&amp;o=9" alt="" style="border: medium none  ! important; margin: 0px ! important;" border="0" height="1" width="1" />にセットして使うと姿勢が楽。CloudReaderを使えばPDFを簡単に取り込むことができるので、仕事の際にも論文や基準書リーダーとして活躍する。これを会社に持って行ったらいろいろ話しかけられて仕事にならないだろうけど。<br /><br /><a href="http://www.flickr.com/photos/nkss/4648999390/" title="R0012045 by gitmonster, on Flickr"><img src="http://farm5.static.flickr.com/4023/4648999390_cae790f303.jpg" alt="R0012045" height="375" width="500" /></a><br /><br />注目の「電子書籍」について。京極夏彦の本と青空文庫HD、そしてコミック版「Moby Dick」を導入。思ったより遥かに読みやすい。画面の反射で少し読みづらいとも感じるが、慣れで解消できそう。教科書や専門書としては微妙。線を引いたり、付箋を貼ったり、書き込んだりというように「教科書を汚す」ことができない。学習の方法を工夫するというのも大事なことだと思うので、「勉強法を選択できない」メディア形式で統一するのは好ましくない。基本書は重く分厚い紙媒体でいいと思う。ただ、副読本を扱う分には便利。<br />普段読む本については、紙媒体か電子書籍のどちらがいいかというのではなく、自分の好みで選択すればいい。ただ、思ったより電子書籍は購入することになりそう。日本の出版社も動き出しているようだ。その前に、青空文庫を満喫するつもり。<br />これから発売される電子書籍の最大のライバルは、青空文庫に格納された文学作品ではないか。歴史のフィルタを通過し、名作とされている作品群と同じプラットホームに並ぶのだ。中途半端な作品ではその陳腐さが目に付いてしまうかもしれない。<br /><br />iPadを使ってみて最も印象が強いのは、ボードゲームが楽しいこと。僕が最初に入れたアプリは「金沢将棋」（笑）自分の手元に将棋盤があるというのは楽しい。指でタップするのにちょうどいい駒の大きさで、ストレスなく操作できる。<br /><br />iPad、衝動的に（物欲に勝てず）購入したが、相当楽しめるガジェットである。ただし、「ライフスタイルを変える！」は言い過ぎだと思う。PCの前で費やしてきた時間が、iPadを膝に乗せている時間に置き換わるだけである。生活の中の少しの時間が「あ、楽しくなったね」というようになるだけである。それでも「踊らにゃ損損」である。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>読書（読んでないけど）感想文：｢&quot;フリー&quot;(無料)からお金を生みだす新戦略｣ - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-05-04T09:21:01Z</published>
    <updated>2010-05-04T09:26:05Z</updated>

    <summary>公共事業も縮小傾向にあり建設業界における生き残り競争が激化する中ではあるとはいえ...</summary>
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    <category term="free" label="FREE" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[公共事業も縮小傾向にあり建設業界における生き残り競争が激化する中ではあるとはいえ、｢建設技術者｣は今後の社会においても必要な役どころであると考えている。<br />しかし、その役割は貨幣の獲得という企業としての目標と並立することは難しいのではないか。経済不況・人口減少が継続する中における｢成長しない社会｣では｢商の論理｣の存在感は薄くなる。残念ながら現在の建設会社・建設コンサルタント会社の多くはその企業形態の維持に精一杯であり、｢商の論理｣の呪縛から抜け出ることはできない。僕は国内トップの建設コンサルタント会社で働いている。しかそおそらく数年後には、｢少なくとも今の形での｣組織は存続していないだろうということは直感的に感じている。<br />こうした中で僕は、何をモチベーションとして、どのように必要最低限の｢運転資金｣を確保して、技術者人生を継続していこうかという点で模索しているところである。<br /><br />｢ビジネス本｣という分野がある。数年前から突如書店内で勢力を拡大したその分野に属する本は、｢机の上を片付ければ年収1500万｣みたいなものから、働くことの意味、時代に対応した｢構え方｣など、人が社会と接続するための本質的な問いに言及したものまで、様々なテーマを持っている。<br /><br />僕は普段は小説（新旧問わず）やエッセイ、論考などを好んで読む。ビジネス本は逆に敬遠しているくらい（文章がしょぼい）。ただ、前述のような悩みを解消するため、｢ビジネス本｣の中から｢ビジネス｣の本質に言及していそうな本を読むことがある。<br /><br />｢"フリー"〈無料〉からお金を生みだす新戦略｣という書籍が売れているとのこと。Web上の書評でも絶賛のコメントが多い。こういうのは胡散臭い、とも思ったが購入。｢Free｣という単語のイメージから、｢最小限の収入で事業を継続する｣ことを述べている書籍と勝手に思っていた。｢フリー｣とは、｢商の論理｣の呪縛からのフリーかと思っていた。（ちゃんと調べて買えばいいのに）<br /><br />だいたい、Web上で同書を絶賛している人物は、ビジネスの現場で激闘を繰り広げている最前線のビジネスマンでなく、｢京王線を前から見た時のフォルムって恰好いいよね｣（適当なイメージでスイマセン）と言っているのと同じ、｢ビジネスファン｣である。ビジネスを｢ファン｣の立場から語ることを生業としている人々である。<br />別にそれを批判するのではない。｢～ファン｣という楽しみ方は魅力的な趣味である。ただし、彼らが言っていることは実際（現場）と乖離している可能性が大いにある、という点は認識しておきたい。<br /><br />そしてようやく書籍｢フリー｣について...<br />結局途中で読むのを止めた。｢商の論理｣真っ只中の内容だからである（当たり前。事前に確認しない僕がダメ）。以下は少し読んだ中で思ったこと。全くの誤読の産物かもしれないが...<br /><br />まず、ビジネスを持続可能なものとする為には信頼・リピートが必要だと思う。｢フリー｣の思想の下展開されている商売は、少なからず消費者を騙している。｢フリー｣の思想を進める企業に対してユーザーは信頼を寄せることができるであろうか。<br />信頼・リピートを得るためには何が必要か。｢供給者は手を掛けた品質の高い品物・サービスを提供し、消費者は適正な費用負担でこれに応答する｣という｢誠実さの交換｣によるコミュニケーションの構築ではないか。｢フリー｣のビジネスモデルのように消費者と費用負担者が別々では、その関係性は成立しない。｢やったぜタダで使えるぜ｣から信頼を醸成することは困難である。<br />でもGoogleはその例から外れつつあるかな。Googleは安定したサービスを｢継続する｣ことと、自社の思想をオープンにすることで信頼を確保している。でもこれが未来永劫続くことは保障されていない訳だから、本当はユーザ側は全幅の信頼をおいてはいけないはずだ。<br /><br />それでは、国内において高い質を持ち、適正な価格で交換が行われる持続可能なビジネスモデルが構築可能な産業はあるか。持続可能なビジネスモデル、言い換えれば｢金で買えないもの｣を提供できるビジネスである。｢お金と交換してくれるのなら｣と思ってもらえるようなものを提供できればいい。<br />人口に膾炙した答えだが、｢観光｣をはじめとしたサービス業と、｢農業｣。観光産業なら｢ホスピタリティ｣、農業は｢安心｣｢手間｣が｢日本ではお金で買える｣。製造業や建設業は｢適正な価格｣というものが消失しつつあるので難しいかなぁ。<br /><br />ここまで書いて思った。この｢フリー｣という本は、こうした素晴らしいビジネスモデルがありますよ、という本ではない。｢｢フリー｣を前面に出してくる企業は、このように金儲けを企んでいるのですよ～｣ということを伝えたいのかもしれない。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>読書感想文｢1Q84｣ - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-05-02T13:41:31Z</published>
    <updated>2010-05-02T14:10:31Z</updated>

    <summary>僕の場合、外に出たついでや移動中など家の外で本を読むことが多い。だから小説を読み...</summary>
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        <name>nkss</name>
        
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    <category term="1q84" label="1Q84" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="村上春樹" label="村上春樹" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/">
        <![CDATA[僕の場合、外に出たついでや移動中など家の外で本を読むことが多い。だから小説を読みたいときは文庫を選ぶ。ハードカバーの重たい本は持ち歩くのが大変だ。でもこれだけ本屋に平積みされたら読みたくなるでしょ、｢1Q84｣。<br />というわけで読んでみた。<br /><br />ちなみに、僕は村上春樹作品を読んだのは大学生の頃。何冊か読んだが、彼の作品の良さを理解できないまま。購入の際、そういえば半年くらい前｢コインロッカー・ベイビーズ｣を読んだなぁ、何てことも考えていたが、おっとあれは龍さんでした。<br />そんな感じなので、巨人の山口投手に対する阪神平野選手のようにくるくる回っているだけの、的を得ていない感想文かもしれません...<br /><u><font style="font-size: 1.25em;"><br />1.この小説のテーマは？</font></u><br /><br />BOOK１から3まで概ね4時間/冊、何でもさっさと読んでしまう僕にしては結構じっくり読んだ方。さすが面白い。ほどほどにわかりやすい伏線、少しずつシンクロしていく青豆・天吾のストーリー、そして全てを理解できないモヤモヤした読後感。これは中毒性がある。<br />でも釈然としないなぁ、他の人はどう読んだかと思い、｢『1Q84』をどう読むか」（河出書房新社）もチェックしてみたが...まあ、読み方は人それぞれ。人の数だけ書評はある。<br /><br />それにしても、これだけ誰もが好き勝手に書評し、それらを集めてもこの辺が作品のテーマとしての「落とし所」というのが見えない。それはなぜか。2つばかり考えてみる。<br /><br />1)作品は作者のメッセージを表現するメディアである。それが読者にうまく伝わっていないのは、村上春樹の力不足。<br />⇒まさかねぇ。じゃあどうするの、という話まで進められないのでこの説はパス。<br /><br />2)そもそも作品のテーマなんて無い。<br />⇒ダ・ヴィンチの絵画を思い出した。彼は絵画で何かを伝えるのではなく、物の質感、光の性質、筋肉の動き...世界のあれこれに関する興味・知識を整理して、塗料を使った「世界」を構築したのである。<br />それと同様、村上春樹の小説は、何かを伝えるためのものでない。彼は彼の「世界」を活字によって構築しようとしているのだ。<br /><br />そう考えると、村上春樹作品の最大の特徴である「比喩」、何のためにこの作業を行っているかということについても理解できる。それは活字の「世界」をどれだけリアルなものとできるか、という挑戦の現れだと思う。欲望、セックス、暴力の描写が多い点についても、「世界」の現実性を高めるための手法ではないか。それにしても彼のイメージする｢世界｣は結構ドロドロしている。現実世界も内面はこんなものかもしれないが。<br /><br />ここで、これまでの村上春樹作品で現実性に欠けていた部分がある。それは「人物」。茂木健一郎氏が「村上春樹の鼻毛問題」（唯一の欠点、という意味）と呼び、作家のご都合主義としていたように、登場人物は皆モテる。青豆・天吾も現実世界にはそういないタイプだと思う。でも｢1Q84｣ではまるで2アウト満塁、一打逆転サヨナラの場面で代打金本を告げる真弓監督のように満を持して｢鼻毛｣を出してきた。福助頭のちんちくりん｢牛河｣である。特異な外見でかなり損をしている。ただしその行動は優秀な実務家。自分の役割に対して正面から取り組んでいる。頑張れ牛河、そう思って読んでいたが...<br /><br />このように、村上春樹の小説はいろいろなアイデアを投入して書籍の中に新たな｢世界｣を作り出している。そして作者の役割はここまで。この後は、現実世界に対する僕らと同じように、そして｢聖書｣を読むように、それぞれの思想・経験の範囲内で小説世界を理解する。<br /><br />現代文の試験なんかで作者の言いたいことが問われる場合が多いと思うが、そんなの出題者が勝手に決めた話であり、それが真実というわけではない。<br />実際は「作者の意図」という一つ（たぶん）の答えを探そうという構えを見せつつ、結局は「自分は何を感じたか、考えたか」を言葉にしていく、それでいいし、それしかできない。<br /><u><font style="font-size: 1.25em;"><br />2.僕はどう読んだか</font></u><br /><br />僕が1Q84をどう読んだかというと、「男と女が大人になる物語」としてである。「男性」「女性」という未完成で純粋で邪悪な存在が、「家族」を形成することにより清濁併せ飲む「大人」になっていくプロセスが見えた。<br /><br />この世界で、｢男性｣と｢女性｣は明確なキャラクタを与えられる。青豆・天吾だけではない。登場人物は皆同様のキャラクタを持っている。それについては物語の冒頭にある。<br /><br />まずは｢女性｣のキャラクタ。<br /><br />第1章（青豆）：<i>｢あなたたちはそこに縛りつけられたっきり、どこにも行けない。ろくに前にも進めないし、かといって後ろにも下がれない。でも私はそうじゃない。私にはすませなくてはならない仕事がある。果たすべき使命がある。だから私は先に進めせてもらう。｣</i><br /><br />第3章（青豆）：<i>｢私は移動する。ゆえに私はある。｣</i><br /><br />この世界の｢女性｣は｢移動する｣。青豆もとにかく動くし、天吾の母親も安達看護婦も動く。女性（母親）の持つ｢帰るべき場所｣を構築するイメージは無い。この特性が様々な事態を打開するきっかけになるのだが、それだけに落ち着かない、不安定さを持っている。<br /><br />一方、｢男性｣のキャラクタ。<br /><br />第2章（天吾）：<i>｢これを見ろ、と彼らは言う。これだけを見ろ、と彼らは言う。お前はここにあり、お前はここよりほかに行けないのだ。｣</i><br /><br />｢男性｣は逆に動かない。｢自分に与えられた役割｣に対して全力を尽くそうとする。<br />天吾もそう、牛河もそうだ。あの教祖様なんて｢物理的に動かない｣。<br /><br />この物語には｢ゲイ｣のタマルが出てくる。これは青豆が強大な組織と対決しながら、成長していく為には必要な役割である。これが男性だったらそこで恋に落ちてしまうだろうし、女性だったらビューティペアになってしまう（誰が主役かわからないってこと）。<br /><br />不安定な｢男性｣｢女性｣...それは｢子供（小人）｣である。小人＝リトルピープルと無理やり接続させてしまうと（そんな安直な、とも思うが）、子供（小人）であることの純粋さ、不安定さは時に残酷な行動の原動力にもなるし、成長していく子供が持つ性の衝動は新たな生命の源（空気さなぎの作成）にもなる。<br /><br />ただしそれはいつまでも続けるものではない。新たな生命が誕生した段階で、｢男性｣｢女性｣は成長しなければならない。今度は子供を育てるために（お、最近ニュースになっている幼児虐待の話とシンクロしているね）。<br />｢大人｣になること、それは｢小人｣の特性に打ち克つこと。BOOK3の最終章では、登場人物はそうした姿を見せている。タイガーをあなたの車に。<br /><br />最後に、BOOK4では次のような展開を｢予想｣。<br />・登場人物が｢大人｣になる戦い。｢男性｣の安定傾向、｢女性｣の移動（不安定）傾向が上手く補い合い、事態を打開する（｢事態｣は別に何でもいい）。リトルピープルと登場人物の関係性は消滅する（世界から消滅はしない）。<br />・天吾はまだ彼の役割を果たしていない。以下参照。<br /><br />第2章（天吾）：<i>｢こいつは天吾くんが書き直すべき話なんだって｣</i>　※小松が天吾に言った言葉<br /><u><font style="font-size: 1.25em;"><br />3.最後に</font></u><br /><br />この小説は｢受けの広い｣小説だ。青豆天吾の純愛小説というさらっとした読み方でもいいし、所々に仕掛けられた言葉のネットワークを探るミステリー系の読み方、作者の哲学を探る読み方、そして上記のように好き勝手に語ることだってできる。爆発的に売れることを前提として書かれた小説である。文中にも書いたように、｢聖書｣を意識しているのだろうか。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>即興的生活 - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-04-17T01:32:32Z</published>
    <updated>2010-04-17T01:34:38Z</updated>

    <summary> ちょっとしたきっかけで、テレビをつけない生活を始めてみた（2カ月くらい）。 以...</summary>
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    </author>
    
    <category term="即興的生活" label="即興的生活" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/">
        <![CDATA[<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=utf-8"><meta name="ProgId" content="OneNote.File"><meta name="Generator" content="Microsoft OneNote 12">

<p style="margin: 0in; font-size: 10pt;"><span style="font-family: &quot;MS Gothic&quot;;" lang="ja">ちょっとしたきっかけで、テレビをつけない生活を始めてみた（</span><span style="font-family: Verdana;" lang="en-US">2</span><span style="font-family: &quot;MS Gothic&quot;;" lang="ja">カ月くらい）。</span></p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">以前は、家にいるときはテレビをつけっぱなしだった。でも、ずっと見ているわけではなく音が出ていればそれでいい、何か興味を引くようなことがあれば見てみる、その程度ではあったが。</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">それが、テレビ番組は番組表を見て「見たい番組」を見るようにした。でも、見たい番組、というのはそれほどない。ニュース番組もそう面白くない。たいしてチェックするような事象は毎日は無いようで。そしてほとんどテレビをつけなくなった（ごくたまに見るのだけど）。</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">&nbsp;</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">そんな生活も最初はなんだか落ち着かないが、ノイズが入ってこない心地よさ、というのがわかってくる。</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">&nbsp;</p>

<p style="margin: 0in; font-family: Verdana; font-size: 10pt;" lang="en-US">-----</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">&nbsp;</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">深く集中する時には、思い切ってリンクを切って、孤立しなければならない。孤立と拡散のコントラストこそが、ダイナミクスのバランスを回復する。（<a href="http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/04/post-7efa.html">茂木健一郎クオリア日記「聖なる集中」</a>）</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">&nbsp;</p>

<p style="margin: 0in; font-family: Verdana; font-size: 10pt;" lang="en-US">-----</p>

<p style="margin: 0in; font-family: Verdana; font-size: 10pt;" lang="en-US">&nbsp;</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 10pt;">それでも、テレビの存在理由はあると思う。</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 10pt;">まずは阪神戦。当然である。</p>

<p style="margin: 0in; font-size: 10pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;" lang="ja">そして、</span><span style="font-family: &quot;MS Gothic&quot;;" lang="ja">アイスランドの火山や、</span><span style="font-family: Verdana;" lang="en-US">9.11</span><span style="font-family: &quot;MS Gothic&quot;;" lang="ja">テロのような、世界的ニュースを映像で目撃するためのメディアとして（火山の件はテレビで見ていないが）。</span><span style="font-family: Verdana;" lang="en-US">web</span><span style="font-family: &quot;MS Gothic&quot;;" lang="ja">上におけるテキスト主体のニュースだけだと、その迫力や深刻さがわからないこともある。</span></p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">&nbsp;</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">もう一つ気付いたのは「天気予報」について。</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">今回の天候（寒いし雪は降るし）については、何の情報もないままだったので、普通の春装備で出勤して凍える思いだった。降雪にもびっくり。いかに自分の身体が天気予報に依存していたかを知った。</p>

<p style="margin: 0in; font-family: &quot;MS Gothic&quot;; font-size: 10pt;">ただ、こうした気候の変化を情報の無いまままず身体で感じ取り、そして驚くという経験は貴重な体験だと思う。確かに社会では情報を得てから手堅く行動、ということが必要な場面が多い。そんな中でも、まず状況に驚き、それから対応するという「即興」の部分があったほうが面白い。</p>

 ]]>
        
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    <title>電子書籍で読みやすい文体 - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-04-12T12:52:24Z</published>
    <updated>2010-04-13T21:56:01Z</updated>

    <summary>ツイッターで話題になっていた｢電子書籍の衝撃｣（佐々木俊尚）を電子書籍で読んだ（...</summary>
    <author>
        <name>nkss</name>
        
    </author>
    
    <category term="電子書籍" label="電子書籍" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/">
        <![CDATA[ツイッターで話題になっていた｢電子書籍の衝撃｣（佐々木俊尚）を電子書籍で読んだ（110円だったし）。出版界もいろいろ大変みたいです。ともかく読ん
でいて思ったのは、｢電子書籍として読みやすい文体｣がある、ということ。そしてその文体で書かれている文章が好まれるようになるだろう、ということだ。<br /><br />｢電子書籍で読みやすい文体｣とは、各段落の一行目に的確な接続詞や一文が入っていて、文章全体の論理構造が明快なこと。キーワードが明快なこ
と。各段落の行間が開いていること（レイアウトの問題）。要はダーっと流し読みすれば文脈がつかめる文章である。<br />現在「売れる本」はこうした文体を既に持っている。だから今後、「売れる本」は電子書籍がベースとなる可能性は少なくない。※「いい本」とイコールではないよ。<br /><br />-----<br /><br />
｢電子書籍｣は情報を浴びる（身に付ける
こととは一致しない）ような本の読み方に適していると思う。文学的作品や批評系作品など、文章の目前で考えたり、読み解いたりするのは紙媒体の方が良い。
ただそれは今まで紙媒体に慣れ親しんできた立場からの意見。テキストに触れるのがいきなり電子書籍という世代はどのような本の読み方をするのだろうか。<br />
<br />
同
じようなことをケイタイの使い方に感じる。<br />
僕はケイタイで文章を打つのが苦手だ。文章は書きながら（PCの場合は打鍵しながら）考える。修正した
り書き直したりも多い。一方ケイタイでは修正の操作が大変（僕だけ？）だから一発勝負で書かなければならない。電車の中でバチバチメールを打っている若い
子をみると、僕とは文章を書くときの思考の手順が違うのではと思う。<br />
野球で言えば、僕の文章の書き方は｢配球を読みながらのミート中心の打撃｣、
メールバチバチ組は｢まずフルスイングしてその中でバットの軌道を修正｣、というところであろう。<br />
<br />
電子書籍の読み方は、後者の｢フルスイ
ング｣型のテキストへの接し方に適していると思う。もともとモニタ画面を長くじっくり見続ける、というのは大変。モバイル機器が活躍する電車内で、電子書籍を読み続けるのは負担が大きい。今後は難解な文章も｢フルスイング型｣で読み解いてしまう世代が出てくるのかもしれない。｢誤読｣も増えるかもしれないが。<br />いまのと
ころは、新書に載るような｢フルスイングで読める文体｣が売れるだろう。本書は確かに速く読める文章だった。よくわからないカタカナは多かったけど（門外漢には）。 ]]>
        
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    <title>あれっ、変わっちゃったなぁ - RADICAL TALK</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/2010/02/post-109.html" />
    <id>tag:gitmonster.com,2010:/radical_talk/blog//2.172</id>

    <published>2010-02-11T14:49:41Z</published>
    <updated>2010-04-11T13:52:02Z</updated>

    <summary>ASKA「12」を聴いている。CHAGE and ASKA の名曲も含めたカバー...</summary>
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    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/">
        <![CDATA[<object width="560" height="340"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-EwfSg1RnU0&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-EwfSg1RnU0&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="560" height="340"></embed></object><br /><br />ASKA「12」を聴いている。CHAGE and ASKA の名曲も含めたカバー曲で占められているアルバムである。<br />最初に聴いたとき感じたのが「あれっ、変わっちゃったなぁ」という違和感。これまで各曲に対して僕が抱いてきたイメージとのズレに戸惑った。<br />今日の仕事中に何回も聴いていた（平日は音楽を聴きながら仕事はできないが、休日はまあいいか、という職場である）ところ、その違和感の正体が何となくわかった。<br />「毒気」（悪い意味はない）が抜けているのである。「ふわっと」しているのだ。<br />1曲目の「Love Song」はORIGINAL LOVEの「朝日のあたる道」と同じ「あ、上に抜けちゃってるな」という感じがある。<br /><br />CHAGE and ASKAの楽曲は、二人の音楽どちらにも主導権は無い。言い換えれば、CHAGE and ASKAの楽曲の軸は「and」の部分にあった。<br />今回のアルバムは、これまでCHAGE and ASKAの楽曲にあった迫力が少し薄い。「CHAGE and ASKA」でなく「CHAGE and ASKA の ASKA」でもない、初めて「ASKA」単独の活動によるもので、51歳にして「and」の縛りから初めて解き放たれたその「戸惑い」が楽曲全体に流れる「ふわっと浮き足立った」感じに現れているのだと思う。<br />ただ、この「軽さ」は、今後「ASKA」本体に軸が通ってきた時にどんな楽曲を聴かせてくれるのだろう、という高揚感に繋がるものではないだろうか。]]>
        
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    <title>ちょっとまて - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-01-28T12:31:38Z</published>
    <updated>2010-04-11T13:52:02Z</updated>

    <summary>少し前まで「新しいガジェット」に対してすぐに飛びついていた。でも、いろいろ痛い目...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/">
        <![CDATA[少し前まで「新しいガジェット」に対してすぐに飛びついていた。<br />でも、いろいろ痛い目に遭ったおかげで、最近はすぐにサイト上のボタンを「ポチッ」とすることはだいぶ少なくなった。<br /><br />そんな中、iPadはついつい「あ、買っちゃおうかな」と思ってしまう製品である。<br />詳しい機能も良くわからずに「決断」しかけてしまうのは、Apple製品の完成度に対する信頼か、それとも欧米に対する「あこがれ（辺境意識）」？<br /><br />iPadを発表したのが他のメーカーだった場合...ということを考えた。<br />おそらく「すぐには買わない」と思う。<br />仕事をするにはノートPCがあるし、ちょっとしたブラウジングはiPhoneがある。<br />iPhoneはあの大きさがいいのであって、あれより大きくなったら邪魔である。<br /><br />ただ、「PDFビューワ」としてのタブレットPCには非常に興味がある。<br />僕の仕事は、設計基準や報告書等、多くの資料を必要とする。したがって、机の周りは分厚い資料だらけである。PDF化してタブレットPCで見ることができれば非常に便利。<br />だから、着目するのは「PDFビューワ」としての機能と価格とのバランス。そして「片手で使えるか」。それが納得できれば「ポチッ」とするかも。]]>
        
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    <title>ヒーロー / 現場紀信 - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-01-09T01:59:01Z</published>
    <updated>2010-04-11T13:52:02Z</updated>

    <summary> 坂本龍馬や栗城史多など、「ヒーロー」に注目が集まっている。閉塞感の中、人は「ヒ...</summary>
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        <name>nkss</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://gitmonster.com/radical_talk/blog/">
        <![CDATA[ <a href="http://www.flickr.com/photos/nkss/4258371308/" title="R0011824 by gitmonster, on Flickr"><img src="http://farm5.static.flickr.com/4043/4258371308_8145443fe3.jpg" alt="R0011824" width="500" height="375" /></a><br /><br />坂本龍馬や栗城史多など、「ヒーロー」に注目が集まっている。<br />閉塞感の中、人は「ヒーロー」を「探し出し」、自らと重ね合わせて行動の原動力にしようとする。<br /><br />登山をしているときの大きな課題がある。<br />それは「執着を捨てる」ということだ。<br />（「一歩を超える勇気」<a href="http://kurikiyama.jp/">栗城史多</a>）<br /><br />先日のNHKの特集を見て初めて知った。不屈の精神で困難を次々と打ち破っていく「マッチョ」なヒーローでなく、弱音を吐きながら、それでも前に進み続ける。共感できて、いいんだよなぁ。<br /><br />-----<br /><br />日経コンストラクション「<a href="http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20100106/538281/">現場紀信</a>」は衝撃的。<br />羽田空港D滑走路や、東京港臨海大橋の工事現場を、篠山紀信が撮影する、という特集だ。<br />「艶」とは全く対極にあるような存在の土木工事現場から「艶」を引き出す技術。工事現場の写真を見て「グッ」とくるなんて。<br /><br />]]>
        
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    <title>思い込め - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-01-04T09:42:41Z</published>
    <updated>2010-04-11T13:52:02Z</updated>

    <summary>「龍馬伝」初回は香川照之が凄すぎた。幕末の志士の魅力は、思考と行動がダイレクトに...</summary>
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        <![CDATA[<object width="560" height="340"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/3KR2L-Phrsw&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;" /><param name="allowFullScreen" value="true" /><param name="allowscriptaccess" value="always" /><embed src="http://www.youtube.com/v/3KR2L-Phrsw&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="560" height="340"></object><br /><br />「龍馬伝」初回は香川照之が凄すぎた。<br />幕末の志士の魅力は、思考と行動がダイレクトに繋がっているところだと思う。資料を読んでいるだけで駆動ロスゼロのエンジン音が聴こえてくるようだ。<br />逡巡もいちいち宣言もせず、全て自分の「想い」を実現することに直結させる。これを可能にするのは強い「思い込み」であろう（良い意味で）。ただ、これは幕末の日本人の意志が強いとかそういうことではなく、「そうしなければ後が無い、思い込まざるを得ない」からだったと思う。どうしようもない自分を取り巻く状況、激変する世の中。「立ち止まって考える」のは、まだ余裕のある証拠だろう。どんどん余裕のなくなってくる現代社会においても、このような人たちは多く出てくれば何とかなる？<br /><br />今日は仕事始め、気合を入れてオフィスに向かうと正面玄関が閉まっている。ああもしかしてと思い会社のPCのスケジューラを確認すると...<br /><br />仕事始めは明日から。追い込まれていなくても思い込むことは可能である。<br />いい慣らし運転ができたので良かった（でもくやしい）。<br /><br />]]>
        
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    <title>時代のロスタイム - RADICAL TALK</title>
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    <published>2010-01-01T07:54:57Z</published>
    <updated>2010-04-11T13:52:01Z</updated>

    <summary> 終末は来なかった、10年前。まさかとは思いながら少しどきどきしながら迎えた20...</summary>
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        <![CDATA[ <a href="http://www.flickr.com/photos/nkss/4233249420/" title="R0011823 by gitmonster, on Flickr"><img src="http://farm3.static.flickr.com/2782/4233249420_b2b8bef226_o.jpg" alt="R0011823" width="800" height="600" /></a><br /><br />終末は来なかった、10年前。<br />まさかとは思いながら少しどきどきしながら迎えた2000年、21世紀になりましたといっても何も変わることはなかった。<br /><br />それから10年経ち、政権交代やIT革命等、表面上は多少変化しているが、相変わらず過去の延長線上を時代は流れているようである。そう頻繁に社会システムが変わっても困ってしまうけど。<br /><br />日本人にとって時代が変わる、というのは年号が変わることとリンクしていると考える。20世紀と21世紀を比較した話よりも、「昭和」と「平成」の比較話の方が圧倒的に多い。今や「昭和の時代」のイメージは「三丁目の夕日」的な光景として、日本人の共通イメージとなっているのではないだろうか。<br /><br />平成20年を迎えたとき、私は「よく20年までもったなあ」と感じた（取りようによっては不謹慎だとは思うが正直な気持ちとして書いている）。それからの2年は言うならロスタイム。後半逆転されスコアは3対1、審判は時計を見ている...奇跡の大逆転も無理だろうなぁという諦めムードが漂っている。今の時代の閉塞感はそう例えられる。とりあえず「次の試合」に期待する他無い。<br /><br />遠くない「平成」の終わり（タイムアップ）に向けてどうするか。<br />まずは「平成」を清算することだろう。「平成」を過去のものとして客観的に分析することをもう始めてもいいと思う。<br />]]>
        
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