奥さん「あなた、休みの日くらい子供と遊んでやってよ」
ダンナ「何言ってるんだ。俺は仕事で忙しいんだ。俺が仕事しているからお前らメシが食えてるんだろ」

こんなベタな光景が現実世界に存在するかどうかわからない(僕は子供はいないし結婚すらしていないので、あくまでも妄想です)。とにかくこの会話は噛み合っていない。

上の会話では、奥さんの言葉はあくまでも「ダンナが家族を振り返らないこと」に対する批判である。これに対して、ダンナは「仕事という必要不可欠なことに従事している俺は正当」と返している。「わかってないのね」「あなたのそんなところが嫌なのよ」と言われておしまいである(妄想です)。

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「正々堂々と『公共事業の雇用創出効果』を論ぜよ」藤井聡(京大の教授)を読んだ。
著者が日刊工業新聞等に寄稿した論説等を束ねた本。いわゆる「公共事業悪玉論」に対する反論。公共事業の正当性を滔々と語り、それが理解されないのはマスコミの偏向報道によるものである、という主張らしい。
確かに公共事業の正当性について、説明を続ける必要があるのはわかる。しかし、本書で展開している公共事業に対する批判「に対する批判」も、上の夫婦の会話と同じようなものである。

僕は、そもそも「公共事業に対する批判」というものは存在していないと考えている。本書でも述べられているような、防災、交通等のインフラ整備の正当性については言われなくても国民はわかっている。それでは何が批判されているのか。

・無意味な道路やハコモノをつくっていること。
・公共事業で私腹を肥やしている人間がいること。

批判はだいたい上記に集約される。つまり、不可解な意思決定、自己利益の追求という「公共事業への『取り組み方』に対する批判」なのだ。
それに対して、「公共事業は正当、そしてそれに従事している俺は正当」みたいな返し方では話が先に進まない。

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コミュニケーションの基本は、「まず相手の話を聞く。受け入れる」ことである。奥さんの不満を真摯に受け止めることである(と思います、たぶん)。とにかく「ごめんなさい私が悪いのです」と平身低頭、謝ることから始め、お互いの意見をすり合わせる。まずダンナに必要なのは自己批評だ。自分の正当性ばかり述べていると愛想を尽かされる(と思います、たぶん)。

実は土木・公共事業の世界には「自己批評」が無い。自己批評なんてしている暇が無いほど忙しい、ということもあるし、メディアも限られている、そんなことしたらどえりゃあことになる、ということもあるかもしれない(その理由は今考え中です)。それでも、国民の理解を「本当に」得たいと考えるなら、まずは建設業界が自己批評を行うことだ。「現役土木技術者が赤裸々に語る!ここが変だよ建設業界~建設コンサルタント秘録」というのが出版されたら...おおおお怖い。

なぜ無駄な構造物をつくってしまったのか、どうやって甘い汁を吸ったのか、まず明らかにするべきだ。それをせずに「土木のイメージアップ」をやろうなんて虫が良すぎる。批判を棚上げにしてはいけない。
自民党がなぜ浮上できないか、民主党がなぜイマイチか。自己批評(ブレてすいませんとか適当なこといってすいませんとか)を誠実に行っていないからである。

そもそも筆者は、この本によって世間の批判を解消しようとは考えていないものと思われる。本書のまえがきでも、「要は、『ふざけたボケ』に『真面目なツッコミ』を入れる、それが『お笑いのゴールデンパターン』だという次第である。」(P12)と茶化しているように、内輪で「そうなんだよなぁ」と愚痴を言い合うための材料として書いているのだろう。

この本は、業界の外の人には見せていけない本である。愛想を尽かされるのは困るので。

ホームズはしつこく語る

内田樹氏のブログで、シャーロック・ホームズについて語っていた(「緋色の研究」の研究)。その中で取り上げている、ホームズが「遡及的推理」「分析的推理」について語るシーンは「緋色の研究」のヤマ場であり、シャーロック・ホームズの推理スタイルが明示された瞬間である。

この他にも、「シャーロック・ホームズ」シリーズには「格言」として僕らも取り入れることのできるフレーズが繰り返し出てくる。「頭の中の屋根裏部屋」「観察と推理」「些細なことへのこだわり」「思考のリセット」(勝手に名前つけています)など...
その内容はおいおい整理することとし、今回は第一の原則「先入観の排除」についてのみ記しておく。

「ホームズ」シリーズの序盤は、ホームズとワトスンのやり取りが中心となる。ここでは、困惑するワトスンに対して、ホームズが推理の原則が伝授される(というよりお説教)場面が多い。それでもワトスンは毎度同じように困惑するのだが...

まず第一作である「緋色の研究」、推理を行う上で最も大事な原則が語られる。

「まだデータがない。証拠材料もそろわないうちに推理を始めるのはたいへんなまちがいだよ。判断を偏らせてしまう」
(新訳シャーロック・ホームズ全集 緋色の研究 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P46)

「あたりまえ」の話である。でも、僕らが繰り返す間違いの大半は、判断の材料が揃う前から形成されている先入観、問題に向かう前から「既に形成されていた仮説」が原因である。仮説思考という思考スタイルはホームズも使うスタイルだ。しかしそれはあくまでも目の前に揃えた証拠にのみ基づくものである。
先入観は自覚することが難しい。わかっていても気がつけばそれに囚われている。だから、しつこいほど意識し、排除しなければならない。

「まだ資料がない。論拠をもたずに理論を構成しようとするのは、重大な過ちだ。事実に合う理論を生み出すのではなく、無意識のうちに理論に合わせて事実をねじ曲げるようになってしまうからね」
(新訳シャーロック・ホームズ全集 シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P17『ボヘミアの醜聞』)

「まあ、そう考えられている。でもね、ぼくとしては、自分の手で調べてみるまで、決めつけたくはないんだ」
(新訳シャーロック・ホームズ全集 シャーロック・ホームズの冒険 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P140『ボスコム谷の謎』)

「なによりも大事なのは、相手の個人的資質に判断を左右されないようにすることだ。ぼくにとって、依頼人は問題中のひとつの構成部分、ひとつの因数にすぎない。感情的なものが入り込むと、明快な推理ができなくなる」
(新訳シャーロック・ホームズ全集 四つの署名 アーサー・コナン・ドイル 日暮雅通 訳 光文社文庫 P31)

これでもかという位に語られる「先入観の排除」。これは、デカルトが語る分析のための「四つの原則」でも第一の原則としてあげられているのだ。

第一は、私が明証的に真であると認めたうえでなくてはいかなるものも真として受け入れないこと。いいかえれば、注意深く速断と偏見とを避けること。そして、私がそれを疑ういかなる理由ももたないほど、明晰にかつ判明に、私の精神に現れるもの以外の何ものをも、私の判断のうちにとりいれないこと。
(デカルト 方法序説ほか 野田又夫・井上庄七・水野和久・神野慧一郎 訳 中公クラシックスP22)

スピードを求められている現代で、「速断」はポジティブに捉えられる場合が多い。しかしそれはネガティブな結果につながるおそれがある。それを避けるために「思考の溜め」を意識することが必要だと思う。

というわけで、『みなさん、暑い夏休みはシャーロック・ホームズを読んで過ごしましょう。さいわい、どこの本屋でもホームズの文庫本が切れるということはありませんから。

そのテキストは呪文である

朝吹真理子「きことわ」(新潮9月号)、読み始めてから読み終わるまでの記憶が無い。すっかり作品中の世界に浸っていた。「活字に絡め取られる」という言葉が当てはまる。

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僕も毎日文章を書いている。しかしそれは「レポート」である。自分の調べたこと、考察を「明快に」書き、他人に伝えるためのものであり、文学作品とは目的が全く異なる。
そこでは主旋律以外の無駄な言葉は削られる。

とはいえ、文体は結構不安定だ。想定する読み手(発注者など)やレポートの目的、誰が最終チェックするか(すっかり組織人ですね) などにより文体は変わる。それ以外に、印象の強い文学作品に触れた後は大きく変わる。詩を読んだ後は妙なリズムが生まれるし、森博嗣を読んだ後は読点が倍増、小島信夫の後は破綻...それはそれで面白い。

しかし、「きことわ」は多分文体に影響は与えない。この小説は「文章を読んでいる」ことを感じさせない。僕らが普段書いている、読んでいる文章とは別の次元のモ ノである。この場合、テキストは読んで理解するものではない。作者が作り出した世界に接続するための呪文である。試しに読んでみるといい。読 み始めて数秒後、「夢を見ている」はずだ。

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