ちょっとしたきっかけで、テレビをつけない生活を始めてみた(2カ月くらい)。
以前は、家にいるときはテレビをつけっぱなしだった。でも、ずっと見ているわけではなく音が出ていればそれでいい、何か興味を引くようなことがあれば見てみる、その程度ではあったが。
それが、テレビ番組は番組表を見て「見たい番組」を見るようにした。でも、見たい番組、というのはそれほどない。ニュース番組もそう面白くない。たいしてチェックするような事象は毎日は無いようで。そしてほとんどテレビをつけなくなった(ごくたまに見るのだけど)。
そんな生活も最初はなんだか落ち着かないが、ノイズが入ってこない心地よさ、というのがわかってくる。
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深く集中する時には、思い切ってリンクを切って、孤立しなければならない。孤立と拡散のコントラストこそが、ダイナミクスのバランスを回復する。(茂木健一郎クオリア日記「聖なる集中」)
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それでも、テレビの存在理由はあると思う。
まずは阪神戦。当然である。
そして、アイスランドの火山や、9.11テロのような、世界的ニュースを映像で目撃するためのメディアとして(火山の件はテレビで見ていないが)。web上におけるテキスト主体のニュースだけだと、その迫力や深刻さがわからないこともある。
もう一つ気付いたのは「天気予報」について。
今回の天候(寒いし雪は降るし)については、何の情報もないままだったので、普通の春装備で出勤して凍える思いだった。降雪にもびっくり。いかに自分の身体が天気予報に依存していたかを知った。
ただ、こうした気候の変化を情報の無いまままず身体で感じ取り、そして驚くという経験は貴重な体験だと思う。確かに社会では情報を得てから手堅く行動、ということが必要な場面が多い。そんな中でも、まず状況に驚き、それから対応するという「即興」の部分があったほうが面白い。

