以前、正しい判断を行うためには先入観を排除する、という文章を書いた。しかし、これを禅の考え方でみると、判断を行っていること自体が妄想に取りつかれていることになる。禅が目指す悟りの境地とは、「明鏡止水」、ありのままを心に映すのみ。(たぶん)
とはいえ、日常生活においては他人と上手く関係性を保ちつつ、自己利益もある程度確保していかねばならない。そのためには眼の前にあるもの全てを取得することはできないし、何も取得しないわけにもいかない。そうした場合に、「じゃあ私はこれをもらいます」と判断する必要がある。「判断」は我々が生きるための「方便」なのだ。
判断はあくまでも日常を生きるための「方便」なのだから、正しい方法というのは存在しない。全て決めごとにすぎない。だから、人によって異なる場合もある。
判断の一つ、「選択」に関するTEDのコンテンツが面白かった。選択に関する3つの思い込みについて述べている。
シーナ・ アイアンガ-: 選択術
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/sheena_iyengar_on_the_art_of_choosing.html
(以下、上記コンテンツ中、日本語字幕を要約した)
米国人は選択術の頂点を極めている、全ての人間は先天的に選択肢を求めるものだと思っているが、それは思い込み。異なる国や文化では「選択」の考え方が異なる場合がある。
一つ目の思い込み:選択が自分に影響をもたらすなら、自分が選択するべきだ。己の優先事項や利益を最大限反映させるには、自ら選択するしかない。
・・・白人系、アジア系それぞれの子供たちにパズルを解かせた場合、取り組むパズルや使うマーカーを誰が選ぶかで結果が異なった。白人系は自分で選択したパズルを解いたときが最も成績が良く、アジア系は母親が選択した場合の方が成績が良かった。
アジア系の場合、選択とは個性の明示や主張の手段だけでなく、信用し尊敬する人たちに選択を委ねることで、社会や調和を築こうとしているのだ。言い換えれば、自分自身の望みとは「大切な人を喜ばせる」ことなのである。
二つ目の思い込み:選択肢が多ければ多いほど最高の決断をする。
・・・ロシア人に7種類のソーダ(コーラ、スプライト等)を勧めたとき、一人が言った。
「どれでもいいです。全部炭酸飲料ですから」
人間は皆、選択に対して基本的なニーズ、欲望を持っている。しかし、誰もが同じ環境・度合いで選択を捉えているわけではない。複数の選択肢に違いを見出せない、比較するには選択肢が多すぎる...そんな時、選択という行為は困惑を生む場合がある。
三つ目の思い込み:選択肢を前に、決して背を向けてはならない。
・・・脳無酸素症の赤ちゃんの生命維持装置を外す決断、米国とフランスで状況が異なる。生命維持装置を外す時期を決定するのは、フランスの場合は医師、米国の場合は両親。
米国人の親は、その後も罪悪感や怒りにさいなまれる。しかし、その決断を医師に託すことは考えられないという。選択を放棄することは、今まで教わってきたことや、選択が持つ目的・力への信念に反するからである。
(要約終わり)
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選択・判断についてこれが正しい、というものは無い。ただ、いずれにしても結果に文句を言わない、という潔さ(潔いふりも含めて)は必要だろう。
とはいえ、日常生活においては他人と上手く関係性を保ちつつ、自己利益もある程度確保していかねばならない。そのためには眼の前にあるもの全てを取得することはできないし、何も取得しないわけにもいかない。そうした場合に、「じゃあ私はこれをもらいます」と判断する必要がある。「判断」は我々が生きるための「方便」なのだ。
判断はあくまでも日常を生きるための「方便」なのだから、正しい方法というのは存在しない。全て決めごとにすぎない。だから、人によって異なる場合もある。
判断の一つ、「選択」に関するTEDのコンテンツが面白かった。選択に関する3つの思い込みについて述べている。
シーナ・ アイアンガ-: 選択術
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/sheena_iyengar_on_the_art_of_choosing.html
(以下、上記コンテンツ中、日本語字幕を要約した)
米国人は選択術の頂点を極めている、全ての人間は先天的に選択肢を求めるものだと思っているが、それは思い込み。異なる国や文化では「選択」の考え方が異なる場合がある。
一つ目の思い込み:選択が自分に影響をもたらすなら、自分が選択するべきだ。己の優先事項や利益を最大限反映させるには、自ら選択するしかない。
・・・白人系、アジア系それぞれの子供たちにパズルを解かせた場合、取り組むパズルや使うマーカーを誰が選ぶかで結果が異なった。白人系は自分で選択したパズルを解いたときが最も成績が良く、アジア系は母親が選択した場合の方が成績が良かった。
アジア系の場合、選択とは個性の明示や主張の手段だけでなく、信用し尊敬する人たちに選択を委ねることで、社会や調和を築こうとしているのだ。言い換えれば、自分自身の望みとは「大切な人を喜ばせる」ことなのである。
二つ目の思い込み:選択肢が多ければ多いほど最高の決断をする。
・・・ロシア人に7種類のソーダ(コーラ、スプライト等)を勧めたとき、一人が言った。
「どれでもいいです。全部炭酸飲料ですから」
人間は皆、選択に対して基本的なニーズ、欲望を持っている。しかし、誰もが同じ環境・度合いで選択を捉えているわけではない。複数の選択肢に違いを見出せない、比較するには選択肢が多すぎる...そんな時、選択という行為は困惑を生む場合がある。
三つ目の思い込み:選択肢を前に、決して背を向けてはならない。
・・・脳無酸素症の赤ちゃんの生命維持装置を外す決断、米国とフランスで状況が異なる。生命維持装置を外す時期を決定するのは、フランスの場合は医師、米国の場合は両親。
米国人の親は、その後も罪悪感や怒りにさいなまれる。しかし、その決断を医師に託すことは考えられないという。選択を放棄することは、今まで教わってきたことや、選択が持つ目的・力への信念に反するからである。
(要約終わり)
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選択・判断についてこれが正しい、というものは無い。ただ、いずれにしても結果に文句を言わない、という潔さ(潔いふりも含めて)は必要だろう。

